Let’s Play Indiaca(No.1~No.10:1979~1989)
第10号(1989年1月発行)Let’s Play Indiaca No.10
新しいスポーツ大会としてのインディアカ大会開催のための「大会開催マニュアル」出版にさきがけその内容の紹介。第1回全国スポレク祭(1988年11月)でのインディアカのデモンストレーション、次の第2回全国スポレク祭から正式種目へ。日中平和有効条約締結10周年を記念の文化交流の中でのインディアカ(1998年10月北京市)。他。
第9号(1988年3月発行)Let’s Play Indiaca No.9
新指導者制度による初の「指導審判員77名」誕生のニュース。瀬戸大橋開通記念としてこの年(1988年)8月香川県多度津で開催のオールジャパン・レディース・インディアカ大会の案内。新指導審判員一覧、新普及審判員一覧。指導審判員試験の回答からクラブ運営のヒントになるものも紹介されています。茨城、福岡、新潟など各地からの話題も掲載。
第8号(1987年8月発行)Let’s Play Indiaca No.8
この年(1987年)4月から新指導者制度がスタートし、それまでの公認審判員が普及審判員と指導審判員に分かれました。その解説と講習会内容の紹介など。第1回東海ブロック大会の様子。新公認審判員の一覧。北海道、和歌山県、大分県からの話題なども楽しい。小田原市のクラブの紹介もあり、楽しさ満載。
第7号(1987年1月発行)Let’s Play Indiaca No.7
第2回東北ブロック大会、第9回関東ブロック大会、第6回西日本大会と全国3ブロック大会の様子。山口県NTT杯大会の様子。新公認審判員一覧。全国インディアカ大会をに目前に会場である山形のインディアカ協会の活躍。小田原市インディアカ協会誕生のニュース。そのほか各地の話題満載。キーホルダー、タオルなどの紹介も。
第6号(1986年6月発行)Let’s Play Indiaca No.6
1986年4月からルール改正、ネットの高さが1.85mから男子・混合が2.0mになったのもこのとき。インディアカ普及振興3ヵ年計画がスタート。滋賀県、山口県の協会が日本協会に加盟、市町村の協会を加え協会の数が全国で21に。地域の情報も北は山形から南は福岡まで満載。
第5号(1985年12月発行)Let’s Play Indiaca No.5
1985年の東日本インディアカ大会のレポート。スナップ写真も楽しい。公認審判員も4000人を超え、インディアカ人口も60万人、インディアカ普及・振興の3ヵ年計画検討中の話題も掲載されています。インディアカボールに西ドイツのコインが重量調整のために入っていたのもこの頃? そんな話題が各地からのニュースと共に掲載されています。
第4号(1984年3月発行)Let’s Play Indiaca No.4
インディアカをするということとは? もう一度原点に戻って普段の活動を見直すきっかけになるかもしれません。山口県豊浦町協会のレポートをはじめ、インディアカ協会が6県6市区町に誕生したこと、香川県多度津のクラブ紹介、全国各地のインディアカの活動状況、新規公認審判員の一覧など、当時の熱気が伝わってきます。
第3号(1982年9月発行)Let’s Play Indiaca No.3
「インディアカは、勝つことではなく、楽しみながら、豊かな生活作りが目的なのだから…。」と身近なところからインディアカのクラブを作ろう、と勧めています。長崎県協会発足、認定員規定の制定、川村皓章会長就任、新規公認審判員一覧、インディアカのすべてが分かる本「インディアカ」の紹介、各地の情報など盛り沢山。
第2号(1981年2月発行)Let’s Play Indiaca No.2
振興会から協会になっての発行。大阪、香川、長崎、青森、東京など、各地で行われている大会や研修会のレポート。認定試験に合格した「公認審判員」の名前が掲載されたのもこの号から。この年行われた第4回全国大会の予定には「ユトリ」「ファイト」「愉しみ」というクラス(競技区分)が掲載されています。
第1号(1979年10月発行)Let’s Play Indiaca No.1
日本インディアカ振興会が発足して2年目に発行された第1号。巻頭の三隅達郎会長による「発刊にあたって」では、レクリエーション活動におけるインディアカの考え方の原点が述べられています。また、1979年(昭和54年)5月20日に行われた「首都圏インディアカ大会」の写真も掲載。