協会概要
一般社団法人日本インディアカ協会は、日本国内におけるインディアカ界の統括団体として、インディアカの普及振興を図り、生涯スポーツを推進するために設立された団体で、それを具現化するための各種事業と組織を有しています。
日本インディアカ協会
役職 | 氏 名 | 所属 | |
会長 | 清水 明 | 元文部科学省総合教育政策局長 | |
副会長 | 金澤 智幸 | 埼玉県インディアカ協会副会長 | |
副会長 | 谷 信夫 | 愛知県インディアカ協会会長 | 東海北陸ブロック |
理事 | 植田 尚史 | 日本レクリエーション協会総務部長 | |
理事 | 小田原 一記 | 日本レクリエーション協会専務理事 | |
理事 | 北濱 幹士 | 東海大学准教授 | |
理事 | 小松原 麻紗子 | JIA公認統括指導士 | |
理事 | 飛田 一浩 | JIA公認統括指導士 | |
理事 | 中居 伸一 | タマテクノシステム㈱事業部長代理 | |
理事 | 野中 耕次 | 箕面学園福祉保育専門学校副校長 | |
理事 | 峯 孝奈 | 日本ウオーキング協会常務理事 | |
理事 | 沼沢 行晴 | 福島県インディアカ協会名誉会長 | 北海道東北ブロック |
理事 | 川崎 哲也 | 東京都インディアカ協会理事長 | 関東甲信越ブロック |
理事 | 宮崎 武夫 | 群馬県インディアカ協会会長 | 関東甲信越ブロック |
理事 | 武市 智子 | 兵庫県インディアカ協会副会長 | 関西ブロック |
理事 | 深本 志正 | 広島県インディアカ協会理事長 | 中国四国ブロック |
理事 | 幸尾 信二郎 | 福岡県インディアカ協会会長 | 九州ブロック |
監事 | 小池 さき子 | 東京都インディアカ協会理事 | |
監事 | 斎藤 勇太 | 日本フライングディスク協会専務理事 | |
監事 | 鈴木 静枝 | JIA公認統括指導士 | |
相談役 | 小森谷 大弐 | 前日本インディアカ協会会長 |
※2024年5月30日更新
インディアカの普及・振興事業
- インディアカ競技規則の制定
- インディアカ競技会の開催(全国レベルの大会)
- インディアカ公認審判員の養成と認定(普及審判員・指導審判員)
- インディアカの国際交流(世界大会への派遣・外国選手の受け入れ)
- インディアカ図書の出版及び機関紙の発行
- インディアカ用具の検定及び公認
インディアカの組織
都道府県を代表するインディアカ協会が全国の各都道府県で組織され、加盟団体となっています。
各都道府県協会は下部組織として市区町村インディアカ協会を有しています。
個人会員、公認審判員は市区町村協会に位置づくと共に、都道府県インディアカ協会にも登録され、さらに(社)日本インディアカ協会で公認され、登録されています。
また、日本国内では(財)日本レクリエーション協会に加盟し、国際的には2000年5月に設立された「International Indiaca Association」(国際インディアカ協会)にドイツ、スイス、ルクセンブルク、スロヴァキア、イタリア、エストニアと共に加盟しています。
協会の沿革
日本にインディアカの用具が入ってきたのは1968年頃で、「ピンポンパン」の名前で市販されました。当時の用具はあまり良くなかったこともあり、子供の遊び道具程度にしか認められていませんでした。
(財)日本レクリエーション協会は、同協会発行の月刊「レクリエーション」1970年6月号で、インディアカはドイツのトリムスポーツの優れた用具であることを紹介し、ルールの翻訳も掲載しましたが、一般にはまだ広まりませんでした。
1970年代は、「みんなのスポーツ」いわゆる「レクリエーションスポーツ」のニーズが高まり、いつでも、だれでも、どこでもできる新しいスポーツゲームが求められるようになった時期でもあります。
(財)日本レクリエーション協会は改めて、旧西ドイツ製の新しいインディアカボールを輸入し、レクリエーション指導者の活動に組み込み、積極的に普及に務めました。その結果1970年代半ばには全国に次第に愛好者の増加をみるに至りました。
さらに正しい方法での一層の普及を図るため、(財)日本レクリエーション協会が世話役となって、1977年10月1日「日本インディアカ振興会」が発足されました。この日本インディアカ振興会は、競技規則の制定や組織づくり、講習会の開催など普及活動に務めました。その活動を母体として全国的に組織が拡充され、1980年3月、「日本インディアカ協会」が設立されました。
以後、文部省(現文部科学省)主催の「全国スポーツ・レクリエーション祭」の正式種目として、また日本レクリエーション協会主催の「全国レクリエーション大会」においてはニュースポーツの交流部門の種目として採用され、全国からたくさんのプレーヤーが集い、大会成功の一翼を担うまでになりました。さらに、「全国インディアカ大会」、「オールジャパンレディースインディアカ大会」、そして「ジャパンフレンドシップインディアカリーグマッチ、「全日本トーナメント大会」など全国レベルの大会が開催されるようになりました。
1995年6月、日本インディアカ協会は文部省(現文部科学省)より「社団法人」の許可を受け、1998年には、全ドイツ総合体操祭に特別ゲストとして参加するなど、国内外で名実ともにスポーツ団体として確固たる地位を築くまでに発展しました。
1999年には、日本インディアカ協会の提案から国際インディアカ協会が設立され、国際化への足がかりを確立。以後2010年まで日本での開催を含め計7回の国際大会が開催され、2015年8月には「第4回インディアカワールドカップ」がさいたま市で開催されました。
2010年、日本インディアカ協会は創立30周年を迎え、同年11月、「社団法人日本インディアカ協会」から「一般社団法人日本インディアカ協会」へと移行、更なる発展を続けています。